一番目の夫との恋愛から離婚の決意まで

query_builder 2023/09/05

こんにちは!ハッピーな離婚カウンセラー はたつかさちえこ

です!

いつも読んでいただきありがとうございます!!


今日は、私の1番目の夫のことについて書きたいと思います。


私の元夫Nさん。 私の1つ下ののセールスマンで社内恋愛でした。

付き合った当初はとても、物知りな方だと思って

Nさんの魅力にひかれていきました。


でも付き合っていくうちにとても変わった人だと感じ始めました。


私が二十歳の成人式の日、急にNさんは、彼の自宅前に行き、

まだ会ったことのない彼の親に急に

「一人であそこの家自分の家だから一人で会いに行ってきて。」

と言ったんです。私は、「一緒に来て。嫌だ。」と言っても

降ろされて行くしかなく、挨拶して帰りました。


それからよく、彼の母からは、彼の帰りが遅いと早く返してくれなど

手紙がきたりしました。Nさんは、今まで誰とも付き合ったことがなく、

私が初めての彼女なことを知りました。

だから彼の母が、心配で手紙を私に書いたんだと思いました。


彼とは20歳で付き合って4年お付き合いをしましたが、

それまで色々ありました。


彼は、歴史好きでデートは、いつも城か寺、神社、墓石巡り。

私が映画や遊園地がいきたいといっても却下。

一緒に行くにしたがって、歴史を知らず知らず覚えてしまうくらいです。

旅行に一緒に行っても歴史に関するところばかりでした。


東北の福島県の会津若松じょうで些細なことで喧嘩になり、「車から降りろ!」と言われ降りてそこから京都まで電車で帰ったこともあります。

そのときばかりは、別れようと思ったのですがそのあと

「ごめん。わるかった。」と謝るのです。そして、私は許してしまう。


また喧嘩になり、お腹を蹴られて入院したこともあって、

その時も謝ってきて許してしまう。

髪の毛を引っ張られたり、暴力があって謝ったら許してしまう。

そういうことが多くありました。


何故別れないのか?疑問ですよね?

きっとマインドコントロールがかかってしまっている。

嫌いにはなれず、次は、彼は変わってくれるだろうと

信じてしまっているんです。

彼が好きだったのもあるのですが、彼が変わるのを信じていたんです。


彼に聞くと彼の母にも暴力を振るっていたそうです。

子供の頃から甘やかされて育ってきていた。

食事も嫌いなものが出ても一切食べず、彼だけ違うメニューで作っていたことを彼の母から聞きました。


私が炊き込みご飯を作って待っていた時も、

「こんな飯食えるか!」と言われ全部ごみ箱いきでした。


そんな彼と4年付き合って結婚したのですが、結婚しても彼の性格は、変わることがなかったのです。


結婚して次の年には長女が生まれ、私は長女を妊娠して

産休まで働いていましたが、生まれてからは、専業主婦になりました。

彼も私も、初めての子供だったので彼はその時は

長女に暴力はなくかわいがってくれましたが、

子供服などは、新品の服を買ってもらえず、

私の化粧品や髪を切ることもお金をくれることなく

生活費しかもらえない生活でした。

働いていないから、子供に私が買ってやることができず、

いつもリサイクルショップやフリーマーケットで

長女の服を購入していました。


喧嘩をすると物が飛んできたりもよくありました。

それでも、彼が変ってくれることを信じてました。

二人目を妊娠して男の子が生まれたら変わるかな

と思っていても変わらない。


ある日ママ友から「一緒に看護学校いかない?」と誘われたんです。

彼女は、離婚を考えてると私に話してくれました。

私もその時の生活に不満もあったので看護学校に行きたいと

夫に話ましたが、夫は、自分が行きたいんだから

子供の保育園代も出さない。今のまま生活費だけしか入れない。

行きたければ自分で保育園代を払えと言われて

パートで働きながら、保育園を見つけこの時は、

なかなか保育園が入れない時代でした。

私的で保育園を見つけ看護学校の勉強と家事、育児、仕事として

看護学校に合格し、看護学校の授業料も働いて入れなければいけなかった。


朝は早く起きて子供たちの準備と朝食の準備、保育園に送り、午前中は、仕事をし午後から看護学校の授業を受け、

夕方から仕事をしその間子供たちは、母が保育園の迎えと

子供たちの世話をしてくれました。

仕事が終わってから子供たちを連れ家に帰り、

子供のお風呂を入れながら晩御飯の支度、夫が帰ってきて

晩御飯を食べている間に子供達を寝かせ、洗濯をし、

そのあと看護学校の宿題をしたりして2年間過ごしました。

やっと准看護師合格。。

ですが勉強が楽しくて正看護師まで進みたいと

思って働きながら行ける学校を探し試験を受けて合格しまた、

同じような生活を3年続けました。


夫が家事をしてくれることはなく私は毎日くたくたでした。


ある日、看護実習が始まってからも

夏休みにグループ学習があったのですが、

夫が急に明日休みだからと言われても私は、

グループ学習があるから一緒にいられない

と話をすると怒って口を利かず、自分の部屋にひきこもり

私は夜ご飯を作ってから子供達を母に預け、

看護学校の友人とレポートを書いてから帰ってきたら

ご飯も食べていない彼ずっと引きこもったまま。話をすることもなく子供隊を寝かせてから勉強をしてると、

急に降りてきて「でていけ!お前は要らん!」と言われ、

子供達もたたき起こして「お母さん出ていくって!」と言われ

追い出されました。

私は実家に行くしかなく実家で過ごしましたが、

ずっと前から離婚の文字が頭に浮かんでいたんです。

子供達も夫には叩かれたりされていた。

子供たちが夫の部屋でテレビを見てお菓子を食べてただけで。

夫はまた家にすぐ帰ってくるだろう


と思っていたのですが、

今回ばかりは、帰りませんでした。

私は、夫は、何も変わらない。

このままこの生活を何年も続けても私は、幸せではない。

子供達も喧嘩ばかりしているのを見て育つのは、よくないし、

また、暴力を振るわれたら心に傷を負うから。

離婚を決意して、動いたのです。


長くなるので次に私が起こした行動について書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。続きは、次回に書きます。








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ハッピーな離婚カウンセラー

住所:京都府京都市伏見区


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